レインボーシックスシージというゲームを考え直してみる

やはり僕も大海を知らない井の中の蛙に過ぎなかったのである。

f:id:h1nsyuku2h1nsyuku:20170306191541j:plain

 

先月の初めくらいに半額セールで手に入れたTom Clancy's Rainbow Six Siege(通称シージ)。数か月前に実施された無料トライアル期間で少し遊び、フレンドと本格的に遊ぼうと思いこの度無事にライブラリ入りした一作だな。

コンシューマーFPSに多少なりとも自信があったので、シージというゲームもまたこれまでの経験則から幾らでもスコアを伸ばせるものだと踏んでいた。

結論から言えばそれは大きく間違っていた。ミニマップが存在しないシージでは、HUD上の単純化された記号ではなく視覚や聴覚、場合によっては直感による索敵が求められ、2層3層に分かれる立体的なマップ、多岐に及ぶ侵入経路は一度や二度のプレイでは到底記憶できない情報量を有しており、プレイしたての僕は他ゲーの必要技術とのギャップにただただ驚くだけだった。

f:id:h1nsyuku2h1nsyuku:20170306200103p:plain

 

とはいえ腐ってもFPS。培ってきたエイムでゴリ押そうと高を括ってみるも、エイムアシストが存在しないので漠然としたエイミングでは撃破できるのは多くて二人。

リスポーンは存在しない上に5on5という一人当たりの責任が重いゲームデザイン。ゲーム開始即凸デスなんて許されざる行為なだけあって、巷に言われる「死んで憶えろ」という文句はなかなか通用しない。

敗北を重ねても重ねても上達する目途が立たない。デスをする度に、敗北を喫す度に積もるフラストレーションは捌け口を求めるかのようにゲームのdisへと変換されていった。時には一緒にプレイしてくれていたフレンドにも(直接的ではないが)八つ当たりすることもあった。ごめんね、あまそん

 

ところで中国の古典のひとつに『菜根譚』というものがある。その前集の217項では、中途半端に知識・経験を持った者はそれだけに固執してしまうので共に仕事をこなすには不適切な人材である、という内容が言及されている。

FPSを一括りにしてしまう浅慮さ、そしてその間違いを認めない頑固さが仇となってシージというゲームを見下していたきらいがある。フレネコという男もFPSに対する中途半端な知識だけで好い気になっていた愚者であったのだな。

今日の昼過ぎ、またも不服そうにフレンドとシージをしていた時のことだ。味方が次々と倒れ、1vs4の絶体絶命の状況でVCを介してフレンドと協力しながらこれを逆転した瞬間があった。その時に味わった興奮は、実に7,8年ぶりの、CoDマルチプレイで初めてキルを取った時のものと相違ないモノである。

そう、ゲームとは楽しむもの。身を心を昂らせるもの。対戦ゲームにイライラは付き物だがそれが主となっては本懐の「フレンドとFPSを楽しむ」ことを見失うことになり、まさに本末転倒なのだ。

とまぁ少しは僕も己の態度を見直してみようと思った次第。それでもあーだこーだと屁理屈を並べては自分のミスを正当化しようとするだろうが、それは愛嬌だと思ってくれ。

 

ではまた。